Le garde Espace
或は
La vie d'une etoile rose
 人は死ぬ時、何を見るのだろう……?
 司祭は臨終の秘蹟を授けながら、天の国の入り口について説いた。
 少年はその言葉を聴きながら、迎えに来てくれる天使は、きっとかの人に似ているに違いない。などと身を苛む苦痛の中で考えていたのを覚えている。
 なにしろ彼の初恋の君は、大天使ミカエルもかくやと云われる程の美貌と威厳を誇っていたから……


「諸君。見てみたまえ。あれがこれから四年間、君たちの全てとなる
宇宙艦(ふね)だ」
 もったいぶった上官の声がして、彼は夢想から引き戻された。
「ジョウ、早く早く」
 彼を呼ぶ仲間たちは既に船窓に張り付き、『おお』とか『わあ』などと感嘆の声を上げていたから、彼も慌てて展覧窓へ目を向けて同じようにため息を吐く。
 それは確かに、ため息を誘うほどに美しかった。
 遥か彼方にありながらも強烈な視線を浴びせかける太陽の光を、白い船体が弾く様は、あたかもそれ自体が発光しているかのように見える。
 網を筒状に組上げたような、ドックの中に納まった優美なライン。白鳥か鶴が羽を広げたようであり、またはその広がった翼から延びた、柔らかな曲線を描くアーチの繭に包まれている様でもある。アームと呼ばれるそのアーチは、太陽光から陰になっている場所に一列の光が並び、あの中もまた人が動く活動の場なのだと主張していた。
 堂々とした華やかさと気品。見る者に畏怖も抱かせる威厳が備わった巨大な宇宙戦艦が、最終整備に飛び回る小型のタグボートを群がらせながら、静かに発進の時を待っている。
「全長885M。Raisin級最新戦艦。Lcc-2008-s『ラ・セーヌ』美しいだろう? 対消滅と反核融合炉を併せ持ち、試運転では最速のワープ記録も叩き出した。艦隊旗艦の姉妹艦であり、最新型光子魚雷と力場装置、最新の各種探査装置が搭載され、ホロレクリェーションルームもあるぞ。乗員数は同乗の家族を含めれば1752名になる。ああ、君たちを加えて1789名になるな。インデペンデンスだ素晴らしい」
 楽しげに得々と説明をする上級士官の声は、果たして聞こえているのやら。今期、宇宙艦隊士官学校。通称アカデミーを卒業したばかりの新米准尉達は、これから四年間の深宇宙探査任務に赴く自分たちの宇宙船に見入っていた。
 そんな若者たちの中で、彼は誰よりも己の幸運に感動していた。
 この自分が、これからあの優美な艦に乗り、未だ踏破されきっていない深宇宙を旅する。誰も見たことのない世界へ赴き、未知の体験をするのだ。
 かつて、力無く己が運命を呪い、涙していた幼い自分に教えてやりたい。未来はこんなにも素晴らしいのだと。
 きつい金髪の巻き毛を、仲間にからかわれない程度に刈り込んだ新米仕官は、青い瞳を縁取る長い睫を震わせて、こっそりと感涙を飲み込んだ。
 うっかり零しでもしたら、また仲間から『ジョウは感激屋だ』とからかわれるから。
 でも、仕方が無いじゃないか。と彼は思う。
『この世は美しく、すべてが奇跡に満ちている』
 そう言ったのは義父だった。彼もまったくそのとおりだと頷く。今だって展覧窓の反対側には、最新鋭戦艦の優美で鋭い美しさとは対照的な、慈愛と寛容に満ちた美しさを湛えた地球が、ラグランジェポイントにまで出て行った我が子達を見守るように浮かんでいる。
 あの光景を見る度に、心が感動で震えるのだ。
 生まれて初めて軌道上からあの母なる星の姿を見た時。一家全員で感動したものだった。
 我々はあんなにまで美しい場所に居たのか、と。
 感激屋の義父はじんわりと涙ぐみ。感受性の高い母はもちろん義父の胸に顔をうずめて泣き崩れた。
 ジョウと弟も手を取り合って鼻を啜り、訳も判らない妹達は泣いた母に引きずられて泣き出す有様。
 一緒に来たツアー仲間が、何かあったのかと慰めてくれたほどだった。
 今でも、あの感動を残したまま、家族団欒での楽しい思い出話になっている。
 そして思うのだ。
 実父と姉にもこの光景を見せてやりたかったと……
 奇跡に包まれているかのようなこの世界でも。それだけは、成し得ない夢だった。


 シャトルは汎用機発着ベイに滑り込み、広いハンガーの真ん中に静かに着地した。
 軽い排気音がしてハッチが開く。
 機械油と金属の匂いが流れ込んできて、新米仕官達は一斉に背筋を伸ばした。
「整列!」
 引率してきた上級士官の号令が飛ぶ。
 皆が慌てて船外に飛び出すと、ポートデッキに鎮座したシャトルの横に並んだ。
「礼!」
 次の号令には、アカデミーの教官も文句無く合格点をくれるだろうといえるほど一糸乱れぬ動きで、正面に立つ男性へと敬礼が送られる。
 黒地に青いラインの走る軍服の胸を、軽く叩く様な動作で返礼を返し、出迎えた士官は深い微笑みで『休め』と指示を出した。
 白地に、それぞれの部署に合わせた色のラインを持つ軍服の若者達が、新兵らしい初々しさが満載の上気した頬でやはり一斉に足を開いて立つ姿は、出迎えた男の笑みを深めた。
 男は、黒髪黒い目をした三十がらみの、少々強面の苦みばしった風貌を持ち。男の徽章は金の星三っつ。大佐であることを示しその階級はすなわち、この艦の副長であることを表していた。
 意外な上官の出迎えに、新米たちはゴクリと喉を鳴らす。
「ひょっ子諸君。『ラ・セーヌ』によく来た」
 少しハスキーな深みのある低い声には、からかいが含まれていて。優しげな微笑は、いきなりニヤリとシニカルな笑みに変わった。
 悪戯な茶目っ気を含んだ表情に、安堵と親近感を覚えた新米たちは、ほっと力を抜いた。
「俺はアラン・D・ソワソン。この艦の副艦長を勤めている。つまり、お前らの元締めだ。お前らはこれから、一旦配属先に出頭し、各部署での仕事を聞いて来い。各自のタイムテーブルに沿って、自室の確認と荷物のチェック。忘れ物があったら、今のうちにママンに
転送(おく)ってもらえ。取りに行く暇はないからな。その後、チーフカウンセラーと面談。最終メンタルテストを受ける。結果如何で配属先も変わる場合があるから、居たい部署なら頑張っていい子にするんだぜ」
 腕を組み、全員を見渡して申し送りがなされる。
 砕けた口調に気が緩んでか、若者たちからくすくすと忍び笑いが漏れた。
「カウンセリング後、艦長直々の個別面談があるから、順次ブリッジの艦長待機室に出頭するように。噂は数々ある人なのはみんな知ってるだろうが。本人はいたって生真面目で時間には煩い御仁だ。遅れると睨まれるからそのつもりで」
 艦長と聞いて若者たちに緊張が走る。
 ジョウは周りの仲間の様子に、こっそりと微笑んだ。
 みんながここに来るまで、艦長にまつわるどんな噂をしていたのか思い出したからだ。
 二十数年前。「ゴーストインベイジョン」と今は呼ばれる侵略戦争があった。
 まったく異質の生物からこの文明が侵略を受け、数多くの人々が犠牲になったのだと歴史で学ぶ。
 精神攻撃を主とする敵により、自殺が急増し、尚且つ精神を食い荒らされるものが増えたという。
 侵略は、連合の勢力圏のすべての星に及んだ。そして地球人類の被害が最も多く、戦いは長引き犠牲者は増えていった。精神戦の中で、決して持ってはいけない『絶望』の影がちらつきだした時、『その人』が現れたのだという。
 金の髪を颯爽と靡かせて人々を鼓舞し、その仲間たちは果敢に敵に立ち向かい、勝利を得た。と。
 それが十年ほど前の事だ。
 不思議な事に彼らの名は伏せられ、名も無き英雄達が公式に発表される事は全く無かったというが、ただ『ガルト』という暗号のような呼称が残されている。
 大天使ミカエルの如き指揮官の記憶とともに。
 その『ガルトの
大天使(アークエンジェル)』がこの艦の艦長だというのが、アカデミーから実しやかに広まっている噂だ。
 今、この副長が冗談めかして言ったのは、そういう事ではないのか?
 新米准尉達は、ざわざわと漣のように囁き合う。
「ジョウ。お前、どう思う?」
 わずかに顔を寄せて、隣に立つ仲間が彼に囁きかけてきた。
「どうって……何もいえないよ」
 ジョウはいつもの穏やかな笑みを浮かべて肩をすくめる。
「お前って、感激屋の割には覚めてるとこあるよな」
 唇を尖らせる友人に、彼は青い瞳をくるりと回しておどけて見せた。
「仕官たるもの、感情に左右されるな。ってさ。だろ? エド」
 友人にそう答えた時、面白そうにこちらを眺めている副長と目が合った。
 思わず肩をすくめて見せれば、軽いウインクが寄越される。
 そのサインに、ジョウはエドと顔を見合わせて苦笑した。
「なぁ、あんた」
 別の方向から他の若者が声をかけてきた時。
「気をつけ!」
 いきなり、ハンガー全体を震わすほどの号令が響き渡り、新米准尉は一斉に直立した。
 目の端に引率の上官が苦笑して起立しているのが見え、彼らの正面には、笑みを消して腕を組んだまま、全員を見渡す副長が居た。
 気さくな態度の下にあった、厳しい指揮官の威厳に全員が圧倒されて硬直する。
 生唾さえ飲み込めるものはいなかった。
「囀るのは自由時間にしろ。嘴しかないなら、今すぐアカデミーに叩き返すから、そのつもりで根性据えろよ」
 叩き返されては堪らない。全員がさらに背筋に力をこめた。
「よ〜し、いい子だ。通達は以上だ。この後、各部署に案内する者が来る。そいつらに着いて行け。解ったか?」
「サー・イェッサー!」
 笑ってしまうほどきれいなユニゾンが、ハンガーに響き渡る。
「最後に、この艦の乗員には別名が着いてくる。どうせ部署で聞くだろうから、今のうちに教えとく。が、単なる自称だから、公式では使うな。いいな?」
 もったいぶった話に、若者たちの視線が『それは何?』と尋ねてくる。
 副長の唇が再び片方引き上げれた。
宇宙衛兵隊(ガルト・エスパース)。新米衛士諸君の今後の健闘に期待する。解散!」
 カツンと磨かれた靴の踵を鳴らして副長がきびすを返し、大股で歩き出す。
 ハンガーの入出ハッチが、彼の接近に合わせて開き、通過の後に閉まった。


「なんでスペース・ガーディアンじゃないんだ?」
 配属部署での着任の挨拶と顔見せも済み、シフトのタイムテーブルを渡されたジョウ達は、自分に割り振られた部屋へ向かっていた。
 そんな時。
 新造艦の、まだ傷一つ無い通路を歩きながら、思い出したようにエドがぼそりと呟いたのが、実にイギリス人らしいぼやきだった。
「この艦がラ・セーヌだからかな。それか、名付けたのがフランス語圏の人だからじゃない?」
 あっさりとジョウが答えても、彼はふんと不満げに鼻を鳴らす。
 まさかスペースガーディアンでは漫画のようだとは言えない。
「二八世紀の今、言語なんて、もうごちゃごちゃじゃないか、気にしない気にしない」
 にっこりとジョウは宥めに掛かった。だが、エドの返事を聞く前に、二人の肩に両腕を回して、別の若者が抱きついてきたので、同時に悲鳴を上げる羽目になった。
「うわっ」
 思わずつんのめった二人が、奇襲者を睨む。が、犯人は気にもせずに声を潜めて、二人の耳に囁いた。
「なぁ、あの副長が大天使の影かな?」
「大天使の影?」
 ジョウがきょとんと聞き返し、エドもブルネットの前髪を掻き上げる。
「なにそれ?」
「お前ら知らないのか?」
 反応の悪さに鼻白んだ若者が、じゃあ説明してやる。と顎を反らして滔々と伝説を話し始めた。
 曰わく。『ガルトの大天使』には、常に側に侍る黒髪の男が居るのだと。
 彼はどこかの惑星の陸軍で将軍にまで上り詰めた優秀な戦術家だったが、大天使に心酔して忠誠を誓ったらしい。
 以来。大天使の在るところ必ず黒髪の影が付き従い、離れる事は無い。
 もっとも、影の他に『将軍』と別に呼ばれる者が第一級の側近に居て、ちょっとはっきりしないのだが……
 そこまで聞いて、ジョウとエドは吹き出した。
「なんだよ」
 口を尖らせる解説者に、二人は肩を震わしながらとりあえず詫びた。
「ゴメンゴメン。でもすごい。ガルトの伝説って、そんなに詳しくあるの?」 
 なにしろ、『ガルト』についての公式記録はほとんど無い。
 大天使にしたって、最後に侵略者との戦闘があった惑星ヘムでの、参戦者からの口伝に過ぎないのだから。
「ヘムの生き残りがあっちこっちで振れ廻ってるからな〜けっこうあるぜ。他には、黒い射手とか、氷原の騎士とかっていうあだ名のメンバーが有名だし」
 途端に、エドとジョウがむせた。
「? どうした?」
 ケホケホと胸を叩く二人を、不思議そうに若者が見たのと、エドとジョウのクロノが、ナビゲーション完了のチャイムを鳴らしたのが同時だった。
「あ、僕達の部屋はここか」
 腕のクロノを翳すと、ドアに自分たちの名前が浮かび上がる。『L・ジョセフ・アクセル』と『エドワード・Y・ウィッドヴィル』
「お前らバディ同士かぁ。俺はもうちょっと向こうみたいだ。じゃあまたな」
 若者はあっけらかんと笑って手を振ると、通路を歩いていった。
 その背中を見送って、どちらともなく顔を見合わせた二人は、苦笑しながら部屋に入った。

 独身の士官は、基本的に二人一組のルームメイトとなるのが、艦隊の規定だ。
 連帯感とチームワークを高める為である。
 室内は共有スペースになるリビングとバスルーム。簡易キッチンなどが適度な広さで迎えてくれて、二人に居心地の良さを感じさせた。
 個室に分かれた寝室も手頃で、アカデミーの寮の二段ベッドからの開放が、社会に出たんだと実感を齎してくれる。
 あらかじめ寝室に転送されていた自分の荷物から、当座必要な着替えだけ取り出すと、ジョウはリビングに戻った。
 先に出てきていたエドが、バスルームを点検して『湯も使える』と、嬉しそうな声を上げた。大型艦ならでわの贅沢だろう。通常はソニックシャワーだけなのが普通だ。
 ジョウはエドの好物であるホットチョコレートを、
食品複製機(フードディスペンサー)に二人分注文しながら、備え付けの簡易コンロで複製ではない本物を今度作ってやろうなどと考える。
 なにしろ自分のショコラティエは、母直伝の自慢の逸品なのだから。
 湯気の立つカップを二つ持って、リビングに行くと、エドがソファーに畏まって軽く会釈をしてきた。
「また、お前とバディだな。四年間よろしく」
 アカデミーの五年間、寮は彼と同室だった。
 家族とよりも、彼と過ごした期間の方が長い。
 おかげでまだ当分は学生気分が抜けそうに無いな、などと想いながら、ジョウはエドの挨拶に『こちらこそ』と返した。
「それにしても……黒の射手ね…」
 二人で時計を気にしつつ、それぞれソファーに沈んでホットチョコを啜る。
 エドの苦笑交じりの呟きに、ジョウも首を竦ませた。
「氷原の騎士もさ。まったく、なにが我々の事は誰も知らない。だよ。しっかり言い触らされてるじゃないか」
「ほんとほんと。影と将軍には笑っちゃったけどさ」
「影が聞いたら、きっと将軍をからかうよ」
「ああ、絶対に」
 同じようにぼやきで返して、共犯者の笑みでくすくすと笑いあう。
 そう、二人が同室になるのは、お互いの背負う背景も影響していた。
 噂の『ガルト』の近親者であり、それ以上の秘密を抱えた者として……
 彼が『ジョウ』と名をくれて、自分が『エド』と呼び、互いの名前から、名前に絡みつく柵から開放し合った。かけがえの無い親友だと、心から思える。
 彼とまだ共に過ごせるのが嬉しかった。
「あ、時間だ」
 ひとしきりぼやき合っていたところで、エドのクロノのタイマーが柔らかな旋律を奏でて、カウンセリングの時間を知らせる。
「一緒に行くよ。君の次が僕だから」
 部屋を出て、二人はメディカルセクションを目指した。

 メディカルセクション。
 『ラ・セーヌ』の生活エリアの中核にあり、乗員全員の生活と身体管理を受け持つ区画。
 医療スタッフは医師と技師、そして看護療法士の五十人ほどで切り盛りされ、長期の深宇宙探査での身体変化の記録もまた業務の一つである。
 つまりこの艦自体が、巨大なモニター実験場でもあるのだが、今のところ患者の一人も居ないメディカルエリアでは、新しい設備を覚えてしまおうと、スタッフがチェックに神経を注いでいるところだった。
 そんな、ある種期待と緊張に満ちた場所に、エドと別れたジョウは物見遊山で足を踏み入れた。
「緊急事態の概要を述べよ」
 ナースステーションを覗き込んでいた若者は、背後からかけられた柔らかな声に一瞬飛び上がった。
「すっすみません! あのっカウンセリングの順番待ちでっ。歩いていたら道に迷って!」
 あわてて振り向いた廊下には、くすくすと肩を震わせる白い制服の小柄な女性が立っていた。
 黒髪が細面の整った顔を縁取って柔らかなウェーブを描き、リボンで纏められて細い背中に流される。襟の徽章は銀の星が二つで中尉を示していた。白いメディカルスーツに走る赤いラインで
看護療法士責任者(チーフナース)だと解る。
 が、それよりも、彼はその女性を知っていた。
「? ディアンヌ姉様……」
 まだ笑い続ける女性へジョウが肩の力を抜く。
「貴方の慌てっぷりったら」
「勝手にうろうろしたら怒られるかと思って……」
 赤くなる若者に、チーフナースはもっともだと頷いた。
「もちろん、病気でも面会でもないのに、こんなところを見物されたらみんなの邪魔になりますからね」
 軽く指を立てて言い聞かせるように話す彼女へ、ジョウはバツが悪げに頭を掻いてみせる。
「すみません」
 素直な謝罪に、ディアンヌは微笑を深める。きらきらと黒い瞳が細められた。
「こんな大型新造艦ですもの。豪華な中身を見たくて当然よね。いいわ。今回だけは大目に見ます」
 にっこりと微笑んでから、自分よりもひょろりと高い位置にあるジョウの青い瞳を見上げた。
「とうとう、来られたのね。ちょっと見ない間に大きくなられて……もう兄様にはお会いした?」
「はい、ハンガーベイで出迎えていただきました。相変わらず、ちょっと怖かったけど」
 苦笑して返される返事に、ころころと鈴が転がるような笑い声があがる。
「もう、兄様ったら。また、ヒヨコは返すとか言ったんでしょ。すぐ憎まれ口叩いて」
 乗艦第一歩の出迎えで、たとえ子供の頃から知っている仲とはいえ、他の新任准尉と区別することの無かった立派な副長も、妹にかかっては形無しだ。
五世(サンキェム)もご一緒?」
「はい。今カウンセリングを受けてます」
 そう答えた直後に、自分のタイマーがベルを鳴らす。
「あ……時間のようです」
 五分前の表示をちらりと確認し、さてどうしようかと考える。
「……さっき、道に迷った…って言ってなかった?」
 痛いところを突かれて思わず首を竦めた。
 あちこちうろうろ見ているうちに、すっかり自分の位置を見失っていたのだ。
「あは……実はそうなんです」
 情けない笑みを浮かべて肩を落とす若者に、ディアンヌはまたくすくすと笑い、優雅なしぐさで手首を返す。
「仕方ありませんわね。ご案内いたしましょう」
 さながら封建時代の貴婦人のように膝を折る礼は、白いロングブーツとミニスカートのメディカルスーツではいささか場違いに見えた。が、ディアンヌの醸し出す、品の良い可愛らしさが滑稽さを感じさせない。
「すみません、お願いします」
 照れ臭さに頬を染めて、ジョウは、くるりと踵を返す小柄な背中に従った。
「そういえば、チーフドクターはどちらに?」
 ディアンヌの弾むような足取りに続いて歩き。外来診察室を通り抜けたところで、ふと思い出して訊ねれば。
「エリザベート様なら、アルデバランのAA-23ステーションから乗艦される予定よ」
 と前を見たまま明るく声が返ってくる。
「学会に出られているの。今はサブチーフのドクター早蕨が代行してらっしゃるわ」
 そう聞いてジョウはにっこりと微笑んだ。
「叔母様にお会いするのは三年ぶりだから、楽しみです」
 ジョウの笑顔に、自分も楽しみだとディアンヌが微笑んだ。
 やがてメディカルエリアのゲートに辿り着くと、チーフナースはカツンとブーツの踵を鳴らして起立の姿勢をとる。
「ではお気をつけて。艦内地図を早く覚えてくださいね」
 悪戯っぽい敬礼を送られて、ジョウは決まり悪げに『善処します』と敬礼を返した。
 

 カウンセラーとは、乗員の精神的なケアを担当する専門家の事を示す。二十人のチームスタッフからなり、閉鎖した宇宙船の中に閉じ込められつつ未知の深宇宙を旅する、特殊な任務に就く乗組員を支えてくれる人々だ。
 カウンセリングルームは、通常メディカルエリアではなく居住区の中に点在しているが、チーフカウンセラーのオフィスは、メディカルエリアの手前にあって、全カウンセラーの活動を統括している。もっとも、ここに常駐しているのは秘書官であり、チーフカウンセラーの姿はブリッジに有るのが普通だった。
 心理学や精神診療の観点から、常に重大な決断を迫られる艦長やブリッジクルーにアドバイスを与えるのが主な任務だからだ。
 エドと入れ違いに入室したジョウを出迎えたのが、秘書官の控え室。いわば受け付けのような場所だった。
「メンタルチェックの方ですね。奥に進んで下さい」
 名と階級を告げると、日系人らしい柔らかな笑顔の女性がカウンセリングオフィスを示して入室を促した。
 オフメタリックな扉に向かい、ジョウは軽く背筋を伸ばす。ドア脇のインターホンから、『どうぞ』と声がして、ドアが開いた。
 まず、大きな窓が視界を占領する。窓外には運河が流れ、花に彩られた林の合間から、瀟洒な田舎家が見える。ジョウは目を見張り懐かしさに微笑んだ。
「プチ・トリアノン……」
 涼やかな風が木々の梢を揺らすのが見える。村里に続く道に咲く花が揺れ、馥郁とした香りが風に運ばれて来るような気がして、彼は少しだけ深く息をした。
 耳に残る、母や姉弟達の笑い声。
 微笑んで歩み寄る、紅の衣の護衛官……
「これは、ライブ映像ですか?」
 懐かしさに深まる微笑はそのままに、ジョウは窓辺のデスクにゆったりと収まった男性に声を掛けた。
「何故そう思うのかな?」
 バリトンの深い響きが、柔らかく耳朶を打つ。
「今、画面を横切った四十雀の首に、追跡調査用のビーコン発信機が付けられていました。ライヴか昨日の早朝……少なくとも20時間以前です。それ以外は観光客か整備員が映る筈ですから」
 にっこりと答える準尉に『すばらしい』と、少々からかい気味な声と小さな拍手が寄越された。
「これが最終テストですか?」
 薄く頬を染めて、ジョウは自分を観察していた男性を見る。
 ほんの少し悪戯な光を湛えた黒い知的な双眸が、彼を迎えた。
「そう、いかなる場合も冷静な状態判断を保てるか。ね」
 男性的で精悍な面差しは、しかし強面というよりも柔和な笑みが似合う。
 本当に昔から、彼の微笑んだ顔しか知らない。と、ジョウは思った。
「戦闘指揮官を目指すには、それが最低限必要ですからね。もちろん常に心がけていますよ」
 ワザとおどけた口調で肩をすくめて、カウンセラーの笑みが深まるのを見る。長い指を軽く組んでいた手を解いて彼が立ち上がると、癖の強い黒髪がふわりと揺れた。
「陛下がおいでならば、きっとお喜びになられて貴方を誇られたでしょう。モンセニュール」
 胸に軽く手を当てて、品のある仕草で略式の礼をしてみせる長身の男を、ジョウは渋い顔で肩をすくめて受け流す。
「エドにも同じようにして、困らせたんでしょう? アンドレ・グランディエ中佐」
 少し嫌味を含んだ言い方に、カウンセラーは『いかにも』と笑った。
「彼にはロンドン塔を見て貰った。彼も録画時刻を言い当てたよ」
 エドらしいと苦笑する。彼は自分の最後の地を、どんな想いで見たのだろう……
「ムードンの屋敷が残っていたら、僕も見せられたんでしょうね……死んだ場所を」
 どちらにしても同じだろう。プチ・トリアノンは母の愚行の遺産だ。太陽系のあちこちを家族で見て回ったが、母は未だにベルサイユには足を向けない。
 もっとも、義父に言わせれば、その後何百年も観光の名所として外貨を稼いだのだから、とっくに原価償却はできたどころかお釣がくる。らしいが。
「メンタルテストは悪趣味だ、が。私はついつい思うんだよ。世が世なら……これらはすべて貴方がたのものだったのに……とね」
 深い声音に、はっとしてカウンセラーを見る。
 彼は昔に垣間見た控えめな従僕さながらに、静かな視線でジョウを見つめていた。
「今年で十九。お父上が即位された年齢です。もし、あのままお健やかにご成人あそばされれば。もしかしたら、苦境の市民も次代に希望を繋ぎ、革命は起きず。暗黒の時代も、英雄の台頭も無かったのではないかと」
 優しい笑みが苦笑に変わる。
「思ってしまう」
 革命が起きなければ。
 父も母も無残な死は遂げなかった。
 姉の苦境も、弟の不幸も無かったに違いなく。
 彼の人は、そしてこの男性もまた、死ぬ事は無かったかもしれない。
 少なくとも、砲火を浴びて血に染まりはしなかっただろう。
 でもそれは、彼にとっては不幸が続くだけではなかったのだろうか?
 愛する人と決して結ばれない。巌然とした隔てが横たわる人生が続くのだ。そう思って首を振った。
「在り得ませんよ。カウンセラー。世が世であった時。僕は死病に取り憑かれ、この年まで成長はしなかった。僕の葬儀も出せなかった両親には、革命は止められなかったし。後世ただの内乱と謂われても、革命は確かにその後の市民の意識を変えて、時代を進めた。そして進んだ果てに、こうして健康に僕が生きれる今が有る。すべては必要な事でした。どのピースが欠けても、今の時代は在り得ない。僕に必要なのは未来です。ベッドに縛り付けられていた過去ではありません」
 きっぱりと言い切って、ゆっくりと微笑んだ。
「僕は、僕を今に呼んでくれた、貴方がたガルトの奮戦に感謝しています。千年の時を経て、僕は未来を手にできたんですから。身分も地位も、この輝かしい時間に比べたら、何程のものでしょう。そして、更なる未来を切り開く。今回の任務をやり遂げたい。そう思います。心から」
 そこまで言い切って、カウンセラーの黒い瞳に満足げな笑みが浮かんでいるのに気がついた。
「……つまり。これがテストの本題ですね?」
 ついぶち上げた演説に頬を染めて、口を尖らせる若者に、カウンセラーはすまなそうに肩を竦めた。
「メンタルテストは、悪趣味だろう? 嫌な事を聞かせて本音を引きずり出すのさ」
 苦笑をしまいこむと、見上げるほどの長身がすっと背筋を伸ばし、正式な敬礼を寄越す。
「ルイ・ジョセフ・アクセル准尉。最終テスト合格だ。今後の活躍を期待する。艦長が待っておられる。挨拶に行くように」
 居住まいを正したカウンセラーの、上官としての言葉に、ジョウは同じく敬礼を返して頷いた。
「イェッサー。ありがとうございました」
 そのまま踵を返して退室しようとして、ドアの前で立ち止まる。
「ああ、カウンセラーグランディエ。世が世なら、で一つだけ心残りがありました」
 そう言ってにやりと振り返る。
「あの人を、絶対に王妃にしたのに。とね」
 再びデスクに収まったカウンセラーが、苦笑に笑み崩れるの横目に部屋を出る。
 かつてのフランス王太子は、過去の栄光を置き去りに、宇宙艦隊士官への現在と戻っていった。


 いったい。誰が信じるだろう?
 二八世紀の現在。やっとアカデミーを卒業したばかりのぺーぺーの軍人の自分が、実は千年も前に生まれたなどと。
 ましてや、歴史の授業で習うブルボン王朝の王子だったなどと。そのうえ、平凡な主婦として家に篭り、子供や夫にパイを焼くのが趣味の母が、かのマリー・アントワネットだったなどと……仲間以外に信じるものなど居ないだろう。
 艦橋に向けて多方向エレベーターに乗り込み、ジョウは自分の数奇な運命に思いを馳せる。
 幸運と不幸が綯交ぜになり絡み合った、時の悪戯を……
 かつて、この文明を襲った異質な侵略者。
 『ゴースト』としか呼び様の無い精神生命達は、人の精神に巣食い、食い荒らし死に至らしめ、さらには体すら乗っ取る。恐ろしい敵だった。
 人口は激減し、地球人類には絶滅の危機すら迫る頃。ある科学者集団がタイムマシーンを開発し、その上で突飛な発想を打ち出した。
 現代人よりもっと精神的に頑健な、荒々しいほど元気だった過去の人間たちを連れてきたらどうだろうか。と。
 今は頑として守られている、時間法を完全に無視した暴挙である。
 当時の人々がよほど追い詰められていたのか、その集団の暴走なのか、一応の条件下の中で過去から様々な人間たちが集められた。
 曰く。政治的に無色である事。あまり歴史的な有名人ではない事。嗜虐趣味殺戮嗜好等、精神的に問題が無い事。死亡時は四十代までの人物である事。戦闘経験者は優先的に。そして、環境変化を受け入れられる人物である事。老衰以外、病死獄死刑死事故死自殺は問わない。
 この基準が守られたのかどうなのか、多少の疑問は残るところだが、様々な過去の時代と地域から瀕死および死亡直後の状態で集められ、現代医学で蘇生し回復した人々は、何組かの集団に分けられて、『ゴースト』との戦いに赴いた。
 過酷な戦いに彼らが飛び込んだそれぞれの理由は知らないが、自分の義父とエドの叔父の事なら、間近に見ていた分だけ少しは知っている。
 エドの叔父。ガルトの『黒の射手』アンソニー・ウィッドヴィルの目的は、陰謀の中で守りきれなかった甥。エドワードとリチャードを取り戻すこと。そう、エドは。シェイクスピアでも有名なリチャード三世によって謀殺されたと謂われる悲運の幼王。エドワード五世だった。
 そして義父……『氷原の騎士』過去の名前を『ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン』今はハンス・アクセルと名を変えた彼の目的は、ジョウの母。
 狂騰した時代に引き裂かれた恋人。『マリー・アントワネット』を現代に連れてくる事。だった。
 政治的に何をしたわけではない。むしろ何もしなかったに等しいが、それでもあまりにも有名なロココの女王と、その悲劇の死で有名な兄弟を取り戻すには、人類を救った英雄になる他は無かっただろう。
 そして、彼等の目的を助け協力してくれたのが、『ガルト』と名乗った過去からの戦士たち。
 ジョウは、優しい視線を投げかけるブリッジの先任士官達の間を、緊張した面持ちで横切り、艦長待機室のドアの前に立った。
「入りなさい」
 柔らかなアルトで入室許可が聞こえ、ドアが開く。
 室内に足を踏み入れれば、まず大きく開かれた船窓が目に飛び込み、窓の中央に漆黒の宇宙に浮かぶ地球が見えた。そして未だ船を覆う造船ドッグの足場と、飛び交うタグボートが窓の端を掠めた。
「アクセル准尉。入ります」
 まず型通りに敬礼して、中へと入る。
 大きなデスクが窓を背にして置かれていた。
 輝く青い惑星の光を浴びて、その椅子に座る人物の金の髪が、よりいっそう深い輝きを放つように見える。
「アカデミー卒業おめでとう。ルイ・ジョセフ…アクセル准尉」
 柔らかな笑みは、昔のままだと思った。
「ありがとうございます。グランディエ提督」
 金の星が四つ並ぶ徽章の襟を揺らして、女性提督は鮮やかな青い瞳を細めて微笑んだ。
「今はオスカル・フランソワで結構。モンセニュール」
 またも聞かされた過去の遺物に、ジョウは慌てて両手を振る。
「お願いします。勘弁してください。今もカウンセラーに苛められたばかりなんですから」
 辟易した様子の新任准尉に、女提督はくすくすと笑いを漏らす。細い指が軽く口元を覆う様を見て、以前より仕草が女性らしく和らいだと、ジョウは思った。
 黒地に青いラインの走る宇宙艦隊の軍服が、ほっそりとした体を包んでいるのが今でも少しだけ違和感を感じさせる。
 かつてこの人は、緋色に金のモールも鮮やかな軍服を身に纏い、サーベルを腰に佩いていた。
 痩身から発せられるとは思えない程の
大音声(だいおんじょう)で号令を出し、颯爽と白馬を駆る陸軍准将。
 王妃の覚えめでたい近衛連隊長とし長く勤め、そして後に袂を分かち衛兵隊隊長となった。
 男として育てられ、殺伐とした軍属に身を置きながら、それでも女性らしい細やかさを失わなかった人。多忙な国王夫妻に代わり、母を恋しがる子供達を守り、優しく抱き上げてくれたのを覚えている。
 ひんやりとした指先が髪を梳き、その胸に抱かれるとほのかな薔薇の香りがした。
 初恋の、大天使ミカエル。
 今でも群を抜く美貌を特に印象付ける碧い瞳が、凛々しい光を湛えて見つめてくる。
「では准尉。副長とカウンセラーからの報告では、着任態度も気構えも、士官として十分期待できると有る。アカデミーの成績も非常に優秀だな。私もこれからの四年間。君の勤務を見守りたいと思う」
「イエスマァム。ありがとうございます」
 敬語を女性用にした事を別段気に止めるでもなく、彼女は机の端末機を操作した。
「それとご両親から、君を頼むと連絡があった。お母上は相変わらずお美しいな」
 端末機から小さな記憶チップが吐き出される。
「これは、ご両親から君への分だ。これから太陽系を出るまでは、管制の都合で一切の私用通信は許可できないから、これで我慢してくれ」
 差し出される記憶チップを慌てて受け取り、触れ合う冷たい指先が昔と変わらないことに、心が温まる気がした。
「ありがとうございます。提督……家族一同。貴女には、どれほど感謝しても足りません」
「そんな事はない。私は成り行きに流されただけだ」
 ジョウの言葉に女提督は苦笑した。
「フェルゼン……いや、ハンスの粉骨砕身の働きがあってこそ、君たちが居るのだから」
 彼女こそが伝説の『ガルトの大天使』と呼ばれた指揮官だった。
 そう、噂通りに。
 そして、ガルトの中核を成したのが、かつて彼女が隊長として率いた、フランス衛兵隊の衛士たち。
 フランス革命の炎の中に身を投じ、散って逝った名も無き英雄達。
 彼女と彼らの望みは政治などとは関係なく、ただひたすらに人々を守りたいという純粋な思いだった。
 だからこそ、時代は違えども危機に瀕した人類の為。異様な敵との戦いにすら飛び込めた。そして、自分たちに未来をくれたのだ。
「感謝なら君のお
義父(ちち)上に」
 微笑み首を振る謙虚な大天使に、ジョウは食い下がった。
「ですが、貴女方が後押ししてくれなければ、僕と母も弟も。実父と同じ条件によって除外されたはずです」 
 歴史的有名人は除外。
 時間移民計画での条件に、思いっきり抵触するのが自分たちだった。
 人類を救った功績を挙げたからこそ、母や自分たちは時間を越えられたのだ。
 しかし父、ルイ十六世は政治的にも歴史的にも有名すぎて問題があり、姉はあいにく天寿を全うしていた。
 二人を除いて、家族は取り戻され、自分は今ここに居る。
「本当に、ありがとうございます。感謝のしようもありませんし恩返しもどうしていいか判らないほどです」
「モンセニュール……そんなことは」
 困惑した声音に、深い笑みで答えた。
「任官が決まったとき義父に言われました。恩を返したいのなら、この世界に。と」
 ジョウの言葉に女提督の碧い瞳が優しい弧を描く。
「身命を賭してこの世界を守り、世の為に働く事こそが、何よりの恩返しだと。ですから、これからの自分の人生を捧げて生きたいと思っています」
 姿勢を正し真っ直ぐに見つめる若者の青い瞳を、やはり真っ直ぐに受け止めて、彼女はゆっくりと頷いた。
「着任を歓迎する。アクセル准尉。これから四年間。我々と共に、人類の未来のために働いてくれたまえ。期待している」
 女性としては上背のある痩身が、背筋を伸ばして立ち上がり、手を差し伸べた。
「誠心誠意、任務に勤めます」
 ほっそりとした白い手を握り返し、自分が背を追い抜いた事実に今更ながら気がついた。
 長身の近衛連隊長の背を見上げていた、幼い思い出が懐かしく脳裏を掠める。
 ひんやりとした長い指の感触を心に刻んで手を離し、若者は踵を鳴らして起立すると、殊更きっちりとした敬礼を艦長へ送った。
「では、失礼します」
「がんばりたまえ」
 柔らかな笑みに見送られ、ジョウは艦長待機室を後にした。 


「君の晴れ姿は、天国の陛下もきっと御覧になって下さっている。心から誇られ、お喜びでいらっしゃるだろう。私にとっても、君は誇りだよ」 
 モニターの中には、懐かしい自宅のリビングが映し出されていた。
 お気に入りのソファーには、何時もの様に義父と母が仲良く腰掛け、囲むように弟と妹たちが並んでいる。
 明るい金髪の義父ハンス・アクセルは母の肩を軽く抱いて、慈しむ微笑でカメラの向こうのジョウに語りかけていた。
「しかし、任務に腐心しすぎて無謀な行動に走ってはいけないよ。無駄に功績を焦る事はない。与えられた任務をしっかり遣り遂げ、四年後に無事に帰って来てくれる事。これこそが真の功績なんだ。家族が待っている事を、忘れないでくれ」
 優しく、しかし理を説く義父の言葉に、しっかりと頷く。
「はい
義父(とう)様」
 ジョウは感慨を持ってアクセルを見つめた。自分がこの人の息子になって13年が過ぎる、と。
 自分の第二の人生は、彼と共に始まったのだ。
 父も母も子煩悩な親だったが、それでも公務に忙しい両親よりも、寵臣として頻繁に訪れていた彼の方が、子供達には馴染みがあったのが皮肉といえた。
 脊椎カリエスという。当時では不治の病に侵され、家族への感染を恐れてムードンに療養名目で隔離された時。彼は日を置かずに顔を出し慰めてくれた。
 臨終の場にも涙を流しながら傍に居てくれて、そして、復活の場にも、やはり涙を流しながら居てくれた。
 自分は、母を必ず呼ぶから、と約束を信じさせる為に。義父への手形代わりに呼ばれたのだそうだ。
 母が呼ばれるまでの数年間。義父やガルトの仲間たちと過ごした。
 両親が恋しくなかった訳ではないが、義父は自分たちの状況や立ち居地をしっかり教えてくれたし、必ず母を取り戻すと誓ってくれた。
 だから、信じて待てたのだ。
 母の再婚は、望むところだったし、父と呼ぶことに慣れるのに、さして時間はかからなかった。
「ジョセフ。本当に、無理はしないで下さいね。オスカルの言う事をしっかり聞いて、任務に励んでください。そして、無事に……絶対無事に帰ってきね」
 今にも泣き出しそうな、震える声で母が語りかける。
 流行の髪型にした金髪が肩の上で揺れていた。
 主婦然としたワンピースにカーディカンを羽織り、手にはロザリオを握り締め、夫に半ば寄りかかっている姿を見て、誰がマリー・アントワネットを想像するだろう。
 赤字夫人とまで
()われた浪費癖は鳴りを潜め、流行のものに目が無いことを除いて、普通の主婦に納まっている。
 ガルト解散の後、企業家として身を起こし、宇宙連合内に手広く範を広げる貿易商になった義父の令夫人であるのだから、普通……とは少し違うかもしれないが。
 今の名前は『マリア・アントニア』祖母からもらった本当の名前なのだと、誇らしげに語る。
 そう呼ばれる母に慣れるのには、実はアクセルを父と呼ぶよりはるかに時間が掛かったけれど。
「エリザベート様もアルデバランから合流すると、先ほど連絡がありました。あの子の言う事も、ちゃんと聞くんですよ。貴方の健康をくれぐれもとお願いしておきましたからね」
「はい、母様」
 律儀に返事をして、録画なのにと苦笑する。
「僕も叔母様と一緒で、心強いです」
 それでもつい言葉が漏れた。
 医学博士として地位を確立した叔母は、母ではなく実父の妹だった。
 歴史的にそれほど有名では無かったから、彼女はガルトの初期メンバーとして、母達の復活を手伝い、それまで自分の世話もしてくれた。
 グランディエ提督と並んで、母が最も信頼する人物だ。
「お兄ちゃま。星のお砂を拾ってきてくださいね」
 母の隣で末妹のベアトリスがにこにこと手を振った。
 最近読んだ童話の中の宝物の事らしい。
 義父と母との間の唯一の娘は、今やアクセル家全員の愛を一身に受けるプリンセスだ。
「きっと拾っていくよトリー」
 ジョウは微笑んで答えた。
「お兄様、私にはルベイジョーの耳飾でいいの。現地の素敵なのをお願い」
 マリー・ソフィーが弾むような声で言う。赤ん坊のうちに夭折した妹は、十一歳となり思春期に差し掛かった夢見る瞳で、憧れのアクセサリーを強請る。
「ふふ、判ったよソフィ」
 可愛い姫君にはどんな物が似合うだろう。
 今から選ぶのに迷いそうだと、微笑が浮かぶ。
「兄様。家の事は僕に任せて、安心して任務に勤めてください」
 にっこりと胸を張る弟に、ジョウは苦笑した。
「シャル……そう言うなら、その頭をやめてからにしてくれ」
 ルイ・シャルル。つまり世が世ならルイ十七世陛下の頭は、七色に染め分けられていた。今年の流行らしい。
 高校に進学した弟は、既に進路を義父の後継と決めていて、大学の経済学科を目指しているが、どうも母の資質を受け継いで、流行にはとんと目が無いときた。
 何時も最先端の突飛な格好をしていた。
「ジョセフ。みんなで、君の帰りを待っているよ。この世界の美しさも、危険も、奇跡も。みんな、見てくると良い。そして無事に戻ってくれ。いってらっしゃい」
 最後に義父が締めくくり、映像が終わった。
「……行って来ます。そして、必ず戻ります」
 消えた画面に向かい、ジョウは静かに返事をした。
「ジョウ、そろそろ発進だ、展望ラウンジへ行こう」
 少しだけ赤くなった鼻を隠すようにして、エドが呼びに来た。
 彼も、叔父夫婦や弟からの伝言を見たのだろう。
「今、行くよ」
 ジョウは、ちょっと熱くなった目を瞬いてから立ち上がった。


 人は死ぬ時、何を見るのだろう……?
 それはまだ自分には判らない、とジョウは思う。
 臨終の秘蹟の時に説かれた天の国には、自分はまだ行っていないのだから。
 その代わりに、宇宙の彼方まで見る事のできる人生がある。
 展望ラウンジに集まった乗員達は、みな壁面の一角を占める大窓に目を向けていた。
 そこには旅立つ我が子を見送る地球が、ぽつんと浮かんでいた。
 既にドッグの網は外され、タグボートも姿を消した。なんの遮る物もない視界の中で、士官や下士官達は自然と地球に向けて敬礼を送る。
 ジョウとエドもまた、その仲間に入っていた。
「ラ・セーヌの諸君。これより我が艦は、深宇宙の探査へと旅立つ。未知の試練や未知の出会いがあるだろう。かつて私は、出立の時仲間にこう言った。なにがあっても、必ず私についてきてくれ。なにがあっても、と。今再び、君たちにそう言おう。そして、この旅立ちの全員で、母なる地球に戻ってこよう」
 全艦に艦長の言葉が流れていく。
 乗組員全員が、その言葉に頷いた。
 これからの冒険を乗り切り、きっと、全員でこの母なる惑星を再び見よう、と。
 短い演説を終え、最後に静かな命令が、毅然とした声で発された。
「ラ・セーヌ。発進」
 白い船体が、タキオンの軌跡を残して、地球軌道から飛び去った。


Fin

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